5年前の初夏,自転車で 300km を走った.特に 300km を目標に走ったわけではなく,富士五湖を絡めて長い目に走ろうかということで,朝4時のまだ暗い頃にゴソゴソと走り出して道士みちを上がって7時ごろに山伏峠.そこからなんとなく富士五湖を巡って富士山の向こう側,朝霧高原を下りはじめたら田子ノ浦まで下ってしまい,途方に暮れつつ覚悟を決めて沼津から箱根に登り(これが思い出したくないぐらい大変だった!),湘南→横浜を経て(初夏の日の長い頃だったが横浜ではもうマックラ)家に帰ってきたらちょうど 300km,獲得標高もちょうど 3,000m だったという,無計画な行程だった.
当時は自転車通勤しておりそこそこ走れた.それに月に2,3回は 160km のライド(というか長距離ポタリング)をこなしていたので,長距離を長時間走れるコンディションは整っていた.ところがその後仕事の関係やコロナがあってめっきり走らなくなってしまい,脚力はダダ落ち・体重増加の二重苦に陥り,「俺は 300km を走ったことがあるのだぞ」という取り戻せない過去を吠えるジジイと化した.(なお 300km を走るというのはロングライド系ロードバイク乗りには,別に特筆すべきようなことではない)
状況を変えてくれたのは Zwift だ – もともと私は,自転車通勤により実走機会が豊富に得られていたことと,冷やかしにたまに乗ったローラーが全然面白くないのをもって,「実走でなければ自転車に非ず」みたいな偏屈マインドに傾いていた.ところが,私はあらゆる生活習慣・趣味について,やらなくなった途端にそれらを再開するモチベーションを簡単に失ってしまう,という悪癖を持っている.従って 2019〜2021年は自転車に乗ることが皆無だったわけではないが,毎回実走のために「自転車とその他装備を準備して乗る」という行為が極めて億劫で,かつ実走の結果得られた成果(走行距離・獲得標高・所要時間)が 2017年までのそれに比べて格段に見劣りし,従って実走終了後の「達成感」が以前とは比べ物にならないほど目減りしていたという困った状況にあった.それでもたまに乗ろうとしたのは「流石にこのままずっと乗らないと完全に体力・健康状態がダメになってしまう」という義務感に他ならない.ただ,この義務感だけの状態からは絶対に過去の良い習慣が元に戻ることはない(私の場合).
その状態を脱せた大きな理由は二つあって,一つは久しぶりに昔一緒に走ったことのある人と一緒に走ったこと,もう一つはそのうちの一人から,私が今持っている装備で Zwift とやらが楽しめること,を知ったことである.Zwift がどんなものであるかは勿論(ロードバイクを嗜むものの端くれである限り)大まかなところは知っていた.が(これも偏見なのだが)いわゆるスマートトレーナー(自動負荷調整付きローラー台設備)がないと面白くないはずだと思い込んでいたのだ.ところがその人は,自転車に装備したパワーメーターでやっていて,年間走行距離の大部分が Zwift 上だ(ということは,そこそこ楽しめているはず – という,ここは想定)とのたまう.ならばと Zwift が14日間無料トライアル可能ということもあり,今年の1月に恐る恐る始めて今に至るという次第.
そんなに何か期待してやっていたわけではないが,Zwift を続けることで脚力は回復し,先々週に山中湖にライドした際には 2017年当時の余裕を覚えた(気がした)ので,機は熟した – 一発大きめのライドをやってみよう – というわけである.
一発大きめのライド先候補はいくつかあり,勿論 2017年の 300km コースを再現してというのも考えられた.ただ,あのライドを今でも懐かしく思い出すのは「やったことのないことをやる高揚感」である(それと同じぐらい,沼津から箱根のしんどさも強烈に思い出すが).自走可能な範囲で「長く」「獲得標高もあり」「やったことのないこと」 – 柳沢峠一択だ – ただし,完全な自信はないのでちゃんと事前にルートを確認して計画的に行くのだ.
さて,
この時期にこの規模のライドをするには,私の脚力だとどうしても暗い時間にかかってしまう.暗い時間に出発するか,暗い時間まで走って帰るか,勿論前者である.朝の気温がここ数日と比べると高めで,フトン峠を越えるのに苦労しなかった.4時出発は 300km ライドの時と同じだ.4:30ごろに関戸橋から多摩サイに入る.
自転車通勤をしていたり一時期は夜練(!)なんかもやっていたので,暗い中を走るのは問題ない.だがサイクリングロードとなると話は別だ.街灯もないし道も狭いから何かにつけ余裕がない.全然飛ばすことなく,障害物や路面の状況に注意を払いながら淡々と進む.多摩サイは走り慣れているのでなんとかなったが,初見のサイクリングロードを夜走るのは無理だろうと思われた.
多摩サイをそろそろと走ること1時間弱.羽村堰に到着.玉川兄弟と記念撮影しても暗くて何も映らないだろうから,訪問はスキップして一般道に入る.
青梅街道に入って大体青梅駅ぐらいのところで日の出時刻を迎える.この頃になると「晴れ時々曇り」の天気予報が「曇り時々晴れ」の誇大広告だったことがわかってくる.フトン峠の低さと引き換えか.
すっかり明るくなった 6:30 ごろ,古里のセブンでおにぎりとバナナを補給.ここまで上がってくると,日の出後であるにもかかわらず自宅近辺より気温が下がっている.ペースも穏やかなこともありボトルの水は全く減っていない.
時間も時間なので,奥多摩湖に至るまでの青梅街道はまだ交通量も少なく平穏で,上り坂のトンネルもストレスなく通過できる.
7:30 ごろ,小河内ダムに到着.この辺りで晴れてくればと期待したが,相変わらず全天曇りのまま.ただ,雲が低いわけではないので雨はなさそうだし,柳沢峠で富士山の写真が撮れるかもしれないという期待はある.ダムのあたりにはもう自家用車がそこそこ集まってきていて,もう少し時間が経てば散策する人で溢れてくるのだろう.ただ,この辺の紅葉はまだまだである.
湖畔の青梅街道を遡る.2021年から都民の森に何回か出向くことがあり(きっかけは,コロナによる「越県境自粛」 – 都民の森なら東京都をはみ出ることなく登りのルートをとれる),ここはその帰りの逆向き(山側)を走ったことしかない.今回始めて湖側を走ることになった.深山橋はその時に奥多摩周遊道路から降りてくるポイントだ.ここから先の青梅街道は,登り下り,自転車自動車を問わず初見である.
ダムの湖面が途切れる頃,丹波山村に入る.地図を眺める限り結構平坦かと思っていたが,そこそこ登らされて道の駅たばやまに至る.この時 8:25.
ここから先は本格的なヒルクライム…かと思っていたが,結局頂上に至るまで激坂箇所はひとつもなく,私にはありがたい緩やかな登りが続くことになり,見知らぬ行程を楽しむことができた.この自転車,イタリアの De Rosa 社の CORUM というクロモリバイクで,オーバーサイズのチューブを使っていたり軽量だったりというちょっと普通のクロモリバイクと違う性格がある(カーボンクランクを奢っているせいもあるかもしれない)のだが,こういう行程ではギアを重めに丁寧に踏んで粘りを味わうという愉しみ方ができる.
ヒルクライムなら脚付きご法度だが,もうヒルクライムではないということがわかったので,あ,と思ったところで脚を止めて写真を撮る.
嬉しいのは道中ほぼ多摩川を横に見ながら登れることで,道士みちとは異なり標高 1,000m を超えてもずっと多摩川のせせらぎが行程を癒してくれる.また,しばらく晴天が続いていたのにそんなことは全くお構いなく山肌から湧水が溢れて道路を流れている箇所があり,東京都の水瓶の豊かさを感じることもできる.そんな様子を見ながらさらに標高を上げると,周りの様子は開けてきてさながら高原リゾートである.途中,分岐して一之瀬高原というところに至る道もある.高級リゾート的な開発はされていないようだが,バブル期に荒らされなくて良かったというところか?少しネットを検索してみたが,この辺りの観光開発について言及されているページが見当たらなかった.あるいは秩父多摩甲斐国立公園に指定されていたからということも,あるかもしれない.
※ネットで検索していたら,別の情報で実は今年国道411号が6月15日に落石発生のため通行止めになっており,規制が解除されたのがつい最近の10月14日だということを知った(焦)
10:00 少し前に頂上に至る.頂上には「東京水道水源林」の碑がある.この標高・周囲のなだらかな山並みの面積を思い浮かべ,多摩川の水量の根拠に思いを馳せたりする.それにしてもこの辺りの山の相はなだらかで,八ヶ岳周辺の高原の様相だ.たまたま国道411号周辺がそういうルートなだけなのか?水源というともう少し険しさを想起してしまう(奈良県民の性か)のだが.
頂上からはすぐ柳沢峠茶屋が見える.茶屋に行くと – あった,これがずっといろんなローディに見せられてきた看板だ.
バイクを水平に立たせることができず,不恰好だが富士山がくっきり見えているし,まぁ良かろう…
奥多摩湖あたりで想像した通り,雲はあるものの高く,富士山は綺麗に姿を見せてくれた.先々週山中湖でみたのと同じく,冠雪なしのマックロだが…まぁ冠雪した綺麗な姿を拝むには,5月連休あたりが良いのだろうか.
さて,まだ 10:00 であるから茶屋で休憩もせず(これを後々後悔する)ダウンヒルだ.
…まぁ,浮世絵にでもしたいような風景である.でもよそ見を許さないほどこのダウンヒルはちょっと怖い.青梅側と違い,こちらは斜度がある(ので,こっちを登りにしたくない!)のと見事なループ線形で息を抜く暇がない.ということもあって,下りで写真は全く取れなかった.また,途中から分岐する「一葉のみち」という国道411とは異なるルートを取ったのだが,これがずっと直線の相当斜度のある下り.久しぶりにブレーキに手を痛めつけられた.
ブレーキと格闘しながら降りていくと,一面に葡萄畑.やっぱりこの山梨の風景は独特で,普段何の変哲もない地方都市町田に住んでいる身からすると,かなり特別感があって眼福である.たとえ,ブドウの時期が終わって木には何もぶら下がっていないにしても.ところで上の写真は「勝沼ぶどう橋駅」の近くで撮ったものだ.何故こんなことを書くのかというと,実は柳沢峠を降り切ったぐらいからコンビニまたはどこか昼食をとれるところを探しながら走っていたのだが,国道沿いを避けたためか,コンビニも何もない!で,ルート上の件の駅周辺に期待していたのだが,この駅には土産物屋と喫茶店しかない…というわけで,ランチ難民になってしまった.普段なら 100km ぐらい走ったあたりで脚がラリって調子が良くなるのだが,今日はその気配がない…と思って後から考えてみたらちょっとハンガーノック気味だったのだ.疲労感ばかりが増し,所々にあるちょっとした登りでは脚が痛み,ハムストリングスに至っては道路に落ちてしまいそうな感がある.
ハムストリングスを削りながら甲州街道の笹子峠入り口をわざと通過し,その先の甲斐大和のセブンイレブンへタレタレになりながら辿りつく.急いで弁当とエクレアを腹にしまってなんとか人心地ついた時に撮ったのが上の写真.11:50 ぐらい.
改めて笹子峠入り口に向かい,そろそろと登り始める.
笹子峠は昭和27年以降新笹子トンネル開通前まで甲州街道の自動車交通を支えてきた道路で,もちろん道路幅は狭くてつづら折れ箇所も多いが,斜度がわりと一定で激坂区間もなく,当時のパワーのないオート三輪などにはそこそこ走りやすい峠と思われ,もちろん自転車にも走りやすい道路である.写真のように美しい石垣が整備されていたり,なんとなく格調の高さを感じさせる道路ではある.ただもう乗り手がヘロヘロなもんだから,柳沢峠の時のように「丁寧にギアを踏んでしなりを感じて味わい深く登る」なんてことはもはやどうでも良く,ない脚をどうにかこうにかだますことだけに専念してインナーローでトボトボと登っていく次第だ.
6キロぐらい登ると,昭和13年開通の有名な笹子隧道が登場する.造りが大変美しいトンネルで,有形登録文化財に登録されもしているせいかよく整備された姿をしている.車のすれ違いは不可能な幅で,単線の鉄道を通すのにちょうど良いようなサイズだ.
笹子峠を降りて現国道20号に合流する.
ここからは下り基調の甲州街道を上っていく(?).流石に交通量は多く,しばらくトラックに前を塞がれて走ることになる…とはいえ,トラックのスリップストリームも各所で使えるので,視界が悪いこと以外は許容範囲で,結局笹子から初狩まで平均時速40km/h超で移動できるなど,コンビニ弁当が消化できてやっとラリってきた脚も相まって上野原まで大いにポジティブに距離を稼ぐことができた.
調子が良かったので,脇の猿橋なんかにも寄り道する余裕があった.
あとは特筆することはない… Ride with GPS で引いたルートが途中相模湖畔のとんでもない激坂を通らせたりするトラップにハマりながら,大垂水峠を補給なしに越えて一気に八王子市街まで下りて行った.
最後の写真は 15:50 ごろの浅川の写真である.夕焼けになる1時間ほど前で,この日とは打って変わった翌日の晴天を予感させるクリアな空が西の端に広がっている.富士山の姿もくっきりだ.
上は Strava のルートサマリである.219.6km/3,235m で,件の 300km ライドにはもちろん及ばないが目論見通り明るいうちに帰ってくることができた.乗る力としては 2017年当時に戻れたのかなという印象だ.
柳沢峠だが,先述の通り激坂のない高原道路といった趣で私好みであるから,多分近いうちに再訪すると思う.今回は初見でなおかつ実績のない復路も含んでいたので時間の節約のためトライしなかったが,次回ははまやらわでわらび餅を食って茶屋で蕎麦をすすって青梅側にダウンヒルで下るというのをこなしたい.青梅側のダウンヒルはさぞ心地良かろう.